風のように寄り添った人
トピック「風立ちぬ」について
「風立ちぬ」、本日二度目の鑑賞に行ってきました。
2回目でようやくまとまった感想が出てきました。
感ずる所があまりに多すぎて、一度観ただけでは言葉にできなかったのです。
この映画の主人公・堀越二郎は、人を殺すでもなく、人を救うでもなく、自らの夢を追いかけるために飛行機の設計に心血を注ぐ若き英才です。
二郎が夢を追いかけながらも、余命わずかのヒロイン・菜穂子を愛し、短い夫婦生活を送る様子が淡々と描かれており、そんな彼の人生に寄り添うように菜穂子は存在していたように思えます。
菜穂子は無くなり、戦争も終わり、夢破れるその時まで設計士としての人生をストイックに歩む二郎の様子は印象的です。
しかし、それ以上に菜穂子の「二郎の妻としての自分」という生き方に心打たれたのは、私が女性だからかもしれません。
映画の中で、結核のため喀血し、床に伏せっていた菜穂子の元にすっとんできた二郎が「綺麗だよ」と菜穂子を褒めるシーンがあります。
そこで菜穂子は二郎の言葉を否定し、不安を解き放つように二郎にしがみつきます。
一方で黒川夫妻の助けを受けて夫婦の契りを交わす際、菜穂子は白い花の髪飾りに赤い内掛けを纏い、夜に舞う粉雪のような儚い美しさで二郎の前に現れ、二郎の「綺麗だよ」という言葉にそっと微笑むのです。
愛する恋人(夫)の前で綺麗な自分でいられる菜穂子の幸せを私は強く感じました。
しかし、二人が幸せを噛みしめていられる時間はそう長くはありませんでした。
二郎さんの前で弱った姿を見せたくない。
自らの病状の深刻さを悟った菜穂子は、迷いの無い足取りで二郎の前から姿を消してしまいます。
黒川の妻は「好きな人に綺麗な所だけ見てもらったのね」と言葉を洩らしました。
映画の中では描かれていませんが、菜穂子は恐らく二郎のいない高原病院で静かに息を引き取ったのでしょう。
女性として、二郎の妻として、自分の思いを守り、彼を想って生きた菜穂子のけなげな矜持を、二郎はきっと分かってくれたでしょう。
二郎と菜穂子はとても似ているように思えます。
二郎にとって、菜穂子は風でした。
風は吹き続け、二つとして同じ風は現れません。
二郎の人生でほんの一時、やさしく吹いた風は、二郎に「生きて」と呼びかけるのです。
風立ちぬ いざ、生きめやも
(風が立った 生きようと試みなければならない)