こうもり
降りしきる雨の中、先生の実家にご挨拶に向かった。
桑田佳祐のベストアルバムを流しつつ、高速道路に乗る。
私たちは同郷だが、彼の実家は私の出身地よりはるかに田舎だった。
都内から車で2時間。
広い庭に車を止めると、豆柴のネオくん(5歳)が私たちを歓迎してくれた。
ロールケーキみたいな尻尾を振って、こちらを見ている。
玄関の方に目を遣ると、この雨の中、お母さんが傘を持って出迎えに来てくれていた。
私は雨の音に声をかき消されぬよう、少し大きめの声で「はじめまして」とご挨拶をした。
お父さんは突然の来客の相手をしているらしく、私たちはひとまず応接間に通された。
雨の中を長時間運転して疲れた先生は、ソファにどかっと座りこみ、リラックスした様子。
お母さんは気を遣って私に話しかけてくれたいたが、お互い緊張しているため、なかなか話が弾まない。
私から話をガンガン振ることもためらわれた。
そこのお前、もう少し気を利かせたまえよ
男と言う生き物は、こういった場面で総じて役に立たないものである。
緊張こそしていたが、先生から聞いていた通り、お母さんがほんわかした雰囲気の優しい人だということは分かった。
私はどことなく、自身の祖母の姿を重ね合わせていた。
30分ほどすると、お父さんとお客さんが玄関に出ていく音が聞こえた。
お母さんも応接間を出ていく。
玄関の方から「やあ、女の子の靴がある!」というお客さんの声と、ネオくんの吠える声が聞こえた。
この時点でお昼を回っており、私たちは予定していたホテルのレストランで昼食を取ることになった。
お父さんへのご挨拶も済まし、私たちはお父さんの愛車レクサスに乗り込む。
お父さんは威厳がある人だが、かなり照れた様子だった。
お父さんは先生が最も信頼し、尊敬している人物でもある。
先生も年をとったらお父さんのようになるのかな、と思った。
10分ほど車を走らせてホテルに着くと、私たちはカジュアルなフレンチレストランに入った。
注文はお父さんの一声でコース料理に決定。
料理が運ばれてくる間、お父さんは先生と仕事の話をしていた。
仕事の話が落ち着いたところで、私が先生の病院でお世話になったことがお付き合いのきっかけだと切り出すと、お二人はホッとしたように見えた。
先生は隣でニヤニヤしていた。
お料理はとてもおいしく、ここでようやくお母さんと打ち解けて話をすることができた。
お母さんが付け合わせの小さな豆をしきりにめずらしがっていたので、ウェイターさんに聞いてみたところ、レンズ豆の甘煮だと分かった。
レンズ豆にかなりテンションが上がっていたお母さんの姿を、私は多分ずっと忘れない。
お父さんは相変わらず照れていたが、私は先生の緊張しいなところをよく知っていたので、お父さんに似たのだなとほほえましく思った。
先生はご両親をとても大切にしている。
また、ご両親からは、離れて暮らす息子のことをいつも心配し、愛している様子が伝わってきた。
良い家族だな、と思った。
私が憧れていた、望んでも手に入ることはなかった、温かい家族の姿だった。
そう思うと同時に、このお二人から大切な息子さんを預かるような気持ちになった。
(実際は逆かもしれないけど)
食事を終えて家に戻り、一息ついたのも束の間。
私たちは先生の仕事の都合で暗くなる前に実家を出る予定だったため、すぐさま帰り支度を始めることになった。
家を出る際、私はご両親に深々と頭を下げた。
これからよろしくお願いいたします
彼を幸せにします
口にこそ出さないが、私はそう思っていた。
ずっと照れていたお父さんも、お母さんと一緒に深く一礼し、傘をさして玄関で私たちを見送ってくださった。
今日と言う一日は、飛ぶように流れた。
結婚への航路は快調。
追い風に速度を上げられて、今も船はぐんぐん加速している。