not simple

21歳年上の彼と、結婚までの道のり。

ことばシリーズ -エトワール-


2012年、言われて嬉しかった言葉【友人未満部門】に於いて、ぶっちぎりの一位を獲得したのがこちら。



「どれも作り慣れてるのがよく伝わってくる写真ですね」




とあるフレンチレストランのオーナーシェフから頂いたお褒め(?)の言葉である。


彼が言及しているのは、私が時たまFacebookにアップしている手料理の写真の数々だ。

なかなか毎回というわけにもいかないので、気が向いた時、余裕がある時に、私は自分で作った夕飯の写真を可愛く加工してFacebookでシェアすることがある。


例えばこんな具合に↓

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これらは全て、私が先生のために用意した夕飯だ。

一生懸命働いて帰ってきた先生に失礼なものは出せぬと、どれも精一杯の趣向を凝らして作っている。


Facebookにわざわざアップし始めたのは、舌だけでなく目にも美味しい料理を作るために、人様に見せることで自分にプレッシャーをかけようとしたのがきっかけだ。




このような写真を撮るにあたって、私が最も重視しているのは料理の温度である。

どの料理も相手が食べるのにベストな温度で出す。
これが私のポリシーだ。

そのポリシーを守った料理か否かは、きちんと写真にも反映されると考えている。


とあるプロカメラマンは出来たての料理の寿命は数十秒、湯気が立ち上っている間だけだと言った。

私の写真は照明の色があまり良くないので、アプリでそれなりに美味しそうに加工してしまうのだが、それでも温度のポリシーだけは守るようにしている。


まぁそんな風に出した料理も、先生はテレビに夢中だとかで必ずしもベストな温度の時に食べてくれるわけではないのだけど。

…完全に自己満足の領域である。





話は戻ってグランプリ受賞について。


これらの写真をアップすると、色々な友人から「おいしそうだね」なんて言ってもらえたりするのでそれもまた嬉しいのだが、プロの料理人の目はやはり違うなと感じた。


シェフは続けて「写真を見ると、限られた時間であれだけの品数を用意できるのって、相当の手練れだなと思いました」と言った。


手練れ。

私にその言葉が当てはまるかどうかは別として、これだけの品数をキッチンに立ってから1時間ほどで用意できるまでには、それなりの苦労があった。


品数の多さは初めから心がけていたが、不慣れで手際が悪かった頃は如何せん時間がかかった。

料理が出来上がる頃にはワークトップは皿やラップや発砲スチロールパックでぐちゃぐちゃに散らかっていたものだ。



料理は一、二品なら楽だが、品数が増えればとたんに脳みその稼働領域を侵食してくる。

そこに先生の帰宅時間とサーブ時の温度等、考慮すべきことが増えれば、それはもう運動会のような目まぐるしさであった。


なるべく待たせぬように。
なるべく温かいものを。
そして何より目に舌に美味しいものを。



キッチンは愛とプライドをかけた私の戦場だ。


シェフの言葉は、そんな私の試行錯誤と鍛錬を汲んでくれたような気がして、とても嬉しかったのである。




こんな風に書くと、まるで夕飯の準備が苦行のようだが、そんなことはない。


料理は化学である。

材料を見ながら考え、計算して作れば、美味しい化学反応のリターンがある。


また、頭を使うこの作業は、私に精神衛生上とても良い効果をもたらしてくれた。

1番いいのは、集中できることと、大変だけど達成感があること。

バランスと相手の好みを考えながら献立を立てるのもワクワクするし、食器を選んだり、盛り付けを施すのも楽しい。




私は料理が好きである。
趣味と言ってもいいかもしれない。



片付けは少々面倒だが、先生が新しいキッチンに備え付けの食洗機を導入してくれたので、だいぶ楽になった。




今年も沢山の料理を作って楽しみたい、先生を喜ばせたいと思う。



おわり