裁判官と教師
自分の経験や見聞きしたことから、価値観の大部分は形成されると私は思っている。
たまに親の価値観をまんまインストールしたような人もいるけど、その親に育てられたのもその人の「経験」だから、良しとする。
私は中学生くらいまでは、自分の判断に自信がなくて、なんでも母親の考え方に依拠して判断していた。
母親を盲目的に信じ、その考えや価値観に乗っかっていた。
母親の考え方に反旗を翻すことはなかったけど、ある時、それじゃいけないと思った。
それからは怖々、自己判断をするようになった。
そうして大人になっていった。
私は大人になるにつれて、ほとんど必然的にいろんな経験をして、自分の芯に磨きをかけていった。
野生の生き物が、天敵が沢山いるサバンナに単身放りだされて、成長していくように。
私は、自分が絶対に正しいとは思わなかったけれど、絶対に間違っているとも思っていなかった。
自分の価値観に、それなりの自信を持って生きてきたということだ。
私はある時、家族以外の人間と一緒に暮らす経験を初めてした。
そこで学んだのは、自分の価値観で物事を判断するのはいいけど、人を裁くような真似はしちゃいけないということ。
自分の価値観という枠にはまらないものは、人の数より沢山あると思う。
何度も間違いを犯して、私はこの答えを導き出した。
私と暮らしていた人は、価値観の押しつけはいけない、したくないとよく言っていた。
その人は、誰が何をしても、何も言わなかった。
誰かが自分や、自分の大切な人を傷つけても、だ。
自分は自分、相手は相手。
だから、自分の意見は言わないし、相手の話も聞かない。
「価値観の押しつけはいけない。」
確かにその通りだ。
でも、何もしないことがいいとも思えない。
相手が大人なら、話し合った方がいい時もある。
子供なら、話をよく聞いた上で教え諭してあげなきゃいけないかもしれない。
私はそういう考え方の人間だ。
裁判官にも教師にもならずに生きていける人の隣で、今は暮らしている。