not simple

21歳年上の彼と、結婚までの道のり。

裁判官と教師

 

自分の経験や見聞きしたことから、価値観の大部分は形成されると私は思っている。

たまに親の価値観をまんまインストールしたような人もいるけど、その親に育てられたのもその人の「経験」だから、良しとする。

 

 

私は中学生くらいまでは、自分の判断に自信がなくて、なんでも母親の考え方に依拠して判断していた。

母親を盲目的に信じ、その考えや価値観に乗っかっていた。

 

 

 

母親の考え方に反旗を翻すことはなかったけど、ある時、それじゃいけないと思った。

それからは怖々、自己判断をするようになった。

 

そうして大人になっていった。

 

 

 

 

私は大人になるにつれて、ほとんど必然的にいろんな経験をして、自分の芯に磨きをかけていった。

野生の生き物が、天敵が沢山いるサバンナに単身放りだされて、成長していくように。

 

 

 

私は、自分が絶対に正しいとは思わなかったけれど、絶対に間違っているとも思っていなかった。

自分の価値観に、それなりの自信を持って生きてきたということだ。

 

 

 

 

 

 

 

私はある時、家族以外の人間と一緒に暮らす経験を初めてした。

 

そこで学んだのは、自分の価値観で物事を判断するのはいいけど、人を裁くような真似はしちゃいけないということ。

 

 

自分の価値観という枠にはまらないものは、人の数より沢山あると思う。

何度も間違いを犯して、私はこの答えを導き出した。

 

 

 

 

 

 

私と暮らしていた人は、価値観の押しつけはいけない、したくないとよく言っていた。

 

その人は、誰が何をしても、何も言わなかった。

誰かが自分や、自分の大切な人を傷つけても、だ。

 

 

 自分は自分、相手は相手。

だから、自分の意見は言わないし、相手の話も聞かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「価値観の押しつけはいけない。」

確かにその通りだ。

 

 

でも、何もしないことがいいとも思えない。

 

 

相手が大人なら、話し合った方がいい時もある。

子供なら、話をよく聞いた上で教え諭してあげなきゃいけないかもしれない。

 

 

 

 

私はそういう考え方の人間だ。

 

裁判官にも教師にもならずに生きていける人の隣で、今は暮らしている。