dignity
今日は用事を済ましがてら、祖父の元へ。
先日かかった肺炎は完治したようで、元気良く話をしていた。
居間に祖父と二人きりになった際、私は祖父に尋ねてみた。
「じいちゃん、これから何がしたい?」
祖父は「あんまり外に出たくないな」と言った。
穏やかな未来を望んでいるようだった。
私は「そうだよね。いっぱい頑張ってきたもんね。ゆっくりしようね」と返した。
今日祖父と話して分かったことは、祖父が心穏やかに、あと10年は健康で生きたい、孫の結婚式に出たいということだった。
祖父は「自分の足で歩けなくなってまで、生きたくないな」と呟いた。
私は人の死と尊厳というものを扱う学問をかじったことがあったが、今までで一番「尊厳」を強く意識した瞬間だった。
私たち家族は如何にして、祖父を祖父たらしめるものを守れるのだろう。
病から、死から、どうしたら祖父の尊厳を守れるのか。
祖父が口にした、あと10年。
残された体力と癌の進行を考えると、それは不可能な数字だろう。
祖父は「生きたい」という思いを、そう遠くない未来に諦めなければならない。
ずっと側で祖父の看病してきた祖母は、この夏が最後だろうと、帰り際私にそっと耳打ちした。
「なるべくね、お父さんが痛くなかったらいいなって、それだけ」
祖父の病状も、生きることへの思いも、残される祖母の悔しさと悲しみも、私にとってその全てが痛ましく、尊いのだ。
東京に戻ってから、先生と話した。
先生は祖父に一通の紹介状を書くことを約束した。
医師の少なさから、治る見込みの無い患者はきちんと診てもらえないことがあるらしい。
先生が紹介してくれたのは、癌患者のセカンドオピニオンや相談に乗ってくれる医師だった。
医科歯科大に勤めている時にお世話になったらしく、ご高齢だが今も現役で臨床の現場におられる先生だそうだ。
もう治す手立ての無い祖父が、どう生きるか。
癌患者の家族としての私たちが、どうあるべきか。
やはりそこには、専門家の手助けがあった方がいい。
そのことを母に報告すると、久々に明るい声を聞くことができた。
みんなが心配している。
みんなが健康を祈っている。
祖父の体がどこまで応えてくれるかは分からないが、やれることは全てやりたいと思う。